私が出会った謎の鳥「タマゴ鳥」はじまりの話

2022/06/09

探してタマゴ鳥

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謎の鳥タマゴ鳥とは

見たものはしかたがない


それは、私が30代の頃に出会った奇妙な鳥のことです。長女と一緒に見た時の衝撃は忘れません。

生きて歩いており、生物学的にあのような大きさと形状が存在できるのかと驚きました。

各種図鑑で調べたり、博物館や動物園に行きましたが、そのような鳥を見つけることはできません。

それにもかかわらず、初めて見た鳥なのに昔から名前を知っていました。

私の郷土で噂となっていた謎の鳥です。

実際に見たのは初めてでした。

そうか、お前が「タマゴ鳥」なんだろう

「命の選択」「生きていく意味」

その鳥と出会ってから、私の価値観と家族の人生が大きく変わりました。

以下は、「タマゴ鳥」と出会った話を時系列で説明していきます。

昭和50年代後半、タマゴ鳥の噂話を聞く

私が小学3年生の頃に不思議な鳥の目撃証言が相次いだ。

子供達は、その鳥を「タマゴ鳥」と呼んでいた。

遠足のバスの中、友達が「俺、タマゴ鳥を見たことある」と言い出した。別の友人も「俺もその鳥を見たことがある。タマゴそのまんまなんだよな!」とみんなが騒ぎ出す。

その後、絵に描いたものを見せてもらうと、2人共に同じ鳥を描いていた。

友達のスケッチ画

小学3年生の友達が見た「タマゴ鳥」の概要

  1. 目撃場所:
    ①治水場周辺の木の上 ②集合団地の電柱の上

    現場写真① この電柱の上にとまっていた

  2. 目撃距離:
    50m~100m

  3. 姿:
    形状はタマゴ型で羽のある胴体や尻尾は見当たらない。顔とクチバシのある頭部分から直に足が生えており、体長は80~100㎝程度と推測され、カラスよりもはるかに大きい

  4. 行動
    電柱や木の上にいることが多い。木で見つけた友達は数匹はいたと証言

  5. 体の色
    鉛筆書きであった為、色はわからない

チョコボールの箱に描いてある鳥によく似ていた。

不思議な鳥(タマゴ鳥)は大型で翼が見当たらないにも関わらず、電柱や木の上を飛翔する能力を持っている。特異な形状や姿は生物学的に未発見の鳥であるといえる。

しかし、私が幼少の頃に住んでいた所は、未開の土地でも孤島でもない。近所は田舎で山だらけであったが大都市に属している。そんな鳥が今まで見つからないことはありえない。

私は友達が証言するタマゴ鳥を見たことは無いし、先生や親に聞いてみてもタマゴ鳥を見た大人はいない。そのため、私はタマゴ鳥の存在を懐疑的に捉えていた。

しかし、クラスでの目撃者は数名に及び、友達が描いた絵の特徴は共通していた為、全てが嘘だとは思えない。遠足後には噂となったが次第に誰も話題にしなくなり、私の記憶も薄れていった。

小学4年生の頃に不思議な鳥と遭遇

私が姉と一緒に近所の山道を散策している時、正体不明の鳥を目撃した。蔦のある雑草が一面に生い茂った空き地で、見たことも無い鳥がひょっこり首を出して草むらに隠れた。

急いで姉を呼んで正体不明の鳥の居場所を指差したが、うまく隠れている様で姉には見えない。手に持っていたバケツを付近に放り投げると、一目散に走って逃げ出した。はっきりと姿は見えなかったが、鳥が逃げた後はボールが転がる様に雑草が倒れていった。

現場の写真② 夏場は蔦が生い茂っている

  1. 目撃者:私

  2. 目撃場所:
    近所の山道 蔦の生い茂った空き地

  3. 目撃距離:
    20~30m程度 上の小山から少し見下ろしていた恰好

  4. 姿:
    顔しか見ていない。鶏冠の様なものがあった。身長は草むらに隠れていてわからないが、雑草の背丈や、逃げた後に倒れた雑草跡から体高約60㎝で子犬程度の大きさであったと推測される

  5. 色:
    頭から首は緑色だった。鶏冠の様なものがあり、動くと揺れていた。体色は雑草に紛れていた為に緑に近いと思われる。

不思議なことに、私は初めからこの鳥がいることはわかっていた気がする。不思議な鳥は飛ばずに走って逃げていき、鳴き声もしなかった。

あの鳥が、噂のタマゴ鳥だったのかはわからない。

その日、家に帰ると父が泣いていた。妊娠中で具合が悪く病院で入院していた母が流産したのだ。まだ見ぬ弟の名前を姉と一緒に決めていた矢先だ。

私は命を失うことの重大さを理解しておらず、悲しむより先に母が早く家に帰ってくれることを喜んだので、鬼の形相で父から殴られたことを今でも鮮明に覚えている。

20年後 タマゴ鳥と遭遇

20年後の30代後半、私は結婚し2児の父親になっていた。

その時に、謎の鳥「タマゴ鳥」と至近距離で遭遇することになる。

ー当時の状況も含めて説明しますー

今まで生きてきた中で一番辛い決断を迫られました。

妊娠中の妻に癌が発症する

妻が第三子を妊娠していた時に、産婦人科の病院で定期健診のエコー検査の際に、白くモヤモヤしたものが見つかり、紹介状を書くから総合病院へ行くように指示されました。

妻は近隣の総合病院へ診察を受けましたが、そこでも「うちでは対応できないので大学病院へ行ってほしい」と告げられる。

診察後、家族を呼び出され、疾病の内容について説明を受けると

それは夫婦が背負うにはあまりにも大きな病気であった。

「共存性胞状奇胎」

10万人に1人の疾病であり、双子の妊娠によって発症した癌


双子を妊娠した際、片方の胎児が異常分裂を引き起こし、癌細胞へ変異した。妊娠中の癌細胞の摘出手術は不可能で、出産するには癌細胞と胎児の両方を育てることになる。

妊娠状態を続けると子宮癌による子宮の摘出、肺への癌転移のリスクが極めて高くなり、生死を掛けるか、生涯にわたる癌治療を覚悟する必要がある。

危険を冒して出産しても、ほとんどが流産や死産に至る可能性が高く、また、片方の胎児が癌細胞の影響を受けずに正常に生まれる可能性も極めて低い。

その大学病院では無事に生児を授かった例がなく、全国でも数例しかないとのこと。

一通りの説明が終わると、医師から承諾書が渡されて「妊娠継続は生んでも生まなくても、母子ともに壮絶な運命を辿ることになる」中絶して治療に専念するのがベストであると医者に告げられた。

妻はボーっと座ったまま、しばらく医者の話を聞いていたが、お腹を両手で抑えて、よろよろと立ち上がり「片方の子はちゃんと生きている、私は死んでもいいから生んであげたい。」とわんわん泣き出した。

病院側は母体の生命を優先する。私も同様の立場です。しかし、妻の言うことも辛いほどわかる。可能性が少しでもあるのなら生まれほしい。

改めて夫婦で話し合った結果、「羊水検査をして、赤ちゃんに異常がなければ妊娠を継続させます。それに伴うリスクは覚悟します」と病院に伝えた。

その後、妻は羊水検査で異常が無かった為、妊娠を継続し、暫く入院することになった。

妻の入院中、生活は慌ただしかった

当時は私はブラック企業で働いていおり、同族経営の工場で品質保証の責任者をしていた。同族の連中は面倒で責任のある仕事は一切しない。不具合の責任とクレーム処理は私に全て押し付けてきた。

私は課長の肩書きだったが、残業代ももらえず、部下もおらず、深夜や土日にまで及ぶ休日出勤や残業が続く。

前任者の責任者は会社を辞める前に「ここは品質保証を何人も使い捨てにしている。馬鹿を相手にするな、変えよう思うな」と私に言い残して去っていった。

現場はクレームが頻発しても無関心で、改善指示を守ろうとしない状態だ。上司は品質保証の私と対立することで、部下をかばって仕事をした気でいる。こんな状況でまともな製品が作れるはずがない。

残された幼い子供達の保育園の送り迎えの為に、せめて定時で帰らせてほしいと上司に懇願すると、「お客から電話が掛かってきたら誰がクレームの対応するんだ!俺の恥は会社の恥だぞ、そんな無責任な奴だとは思わなかった。」と罵声を浴びせられた。

”ブラック企業だとはわかっていた”

それでも会社のため、家族のために一生懸命に頑張って来たのに・・これが答えか。

仕事中は高齢の母に子供達の世話をお願いして、家で持ち帰った仕事を徹夜でしていると、幼い子供達は寂しいと夜泣きした。最悪の状況しか頭に思い浮かばなかった。

「私は判断を間違えた。幼い子供達には、まだ母親が必要だ。私が妻に生涯憎まれる覚悟をして中絶の判断をするべきだった。望みの薄いことに家族の一生の暮らし賭けたのは無謀だった!」とイライラして家で声を荒げた。

心身共にボロボロにだった。

誰も私を助けてはくれない

年末深夜の仕事帰り、普段は地元の人しか行かない、南北朝時代の武将を祀った小さい神社を通った。その神社はスーパーの近くにあり、妻が買い物している間、子供達と追い掛けっこしたり、かくれんぼしたりするのに絶好の遊び場所だった。

現場の写真③ 大きなクスノキがある神社

いつのまにか境内に来ていた。

無宗教で信仰心も無い私が初めて神頼みをした。

「武将様。境内で遊ばしてもらっていた家族です。お願いです。妻と子供を助けて下さい。」今まで我慢してきものが溢れ出した。恥ずかしげもなく、声を出して泣きながらお祈りしていた。

妻の入院中にタマゴ鳥と至近距離で遭遇

妻が妊娠中の病気で長期入院になり、小さい子供達が寂しそうにしていたので、正月休みにお世話をしてくれていた母を連れて動物園に行った。

その時にタマゴ鳥と遭遇した。


  <タマゴ鳥の概要>

  1. 目撃者:私と長女(当時5歳)

  2. 目撃場所:
    動物園の通路

  3. 目撃距離:
    1m程度 上から見ろしていた恰好

  4. 姿、色、形:
    図、タマゴ鳥参照

動物園の人気のない野外通路の脇を「深緑で綺麗な球体の鳥」がゆっくり歩いている。大きな体に反して頭と首は小さいく、スズメ程度であったと思う。

足は小さくて見えなかったので、バスケットボールがちょこちょこ動いている感じであった。私は田舎の山育ちで多くの野鳥を見ているがこれには驚いた。

最初に見た時は動物園の檻から逃げ出した鳥か、体験学習中に逃げた鳥と思い、飼育員に知らせようとしたが、正体不明の鳥は鳴いて暴れたり、飛んで逃げ出す様子は無い。

私が1mぐらいの距離まで近付いたら、こちらを一瞬見上げた後、ゆっくり目を瞑って、人目を避けるように芝生のある草むらに移動して座りだした。

タマゴ鳥目撃場所①:発見時は歩いていた

タマゴ鳥目撃場所②:座っていた場所

赤いピンクの孔雀の様な鶏冠と、光沢のある深緑の体のコントラストがとても美しかった。

私は興味があって触ってみようとしたが、娘が酷く怯えていた為、その場から立ち去った。娘が後から「あの鳥は何?何?何だったの?」と尋ねてきたので、

「あれはタマゴドリ。魔法が使える不思議な鳥だ」とだけ答えた。

妻が第三子の娘を出産

第三子が出産予定日に無事に生まれた。泣き声が大きく健康な女の子だ。

病院から妊娠中に問題になった疾患片方の癌細胞は徐々に小さくなり消滅したと説明を受けた。極めて稀なケースで、この病院での初めてのことだった。

癌治療の為の通院も必要が無いと言われ、翌日に退院出来た。

子供の名前は、双子だったことを考えて男女の二つ読み方が出来る名前にした。

現在、末っ子はいたずら大好きの元気な娘に成長している。二人分のエネルギーがあるのか、賢くて体は丈夫。病気や怪我の心配をすることがほとんど無い。

娘が無事に生まれた後、助けてくれなかった会社を見切り退職した。辞める前に「昔の俺は君の何倍も苦労した」「あと1年辛抱したら楽になる。頑張ろうと」馬鹿上司が勝手な理屈で引き止め出したが、相手にする気はなかった。

なぜ、こんな会社をすぐに辞めなかったんだろう。私は家族の為に働いていると自分に言い聞かせ逃げていたのかもしれない。家族を犠牲にして。

すぐに働ける当てはなかったが、仕事なんていくらでもある。妻に伝えると「その方がいいよ。みんなで生きていこう」と笑って励ましてくれた。

後日談

私は当初、正体不明の鳥には関心がありませんでした。

山で綺麗な蝶を発見しても、それが何であるかを調べる人が少ないのと同じです。

きっかけになったのは、妻の妊娠中の病気をネットで色々調べていた時です。結果は奇跡の様な嬉しい出来事でしたが、あの時にもし別の判断をしていれば娘は生まれてこなかった。

病気は本当だったのか?と疑問に思ったからです。

色々な可能性を探している時にあの不思議な鳥のことを思い出しました。そうすると、何気なく口に出したタマゴ鳥の名前、幼少の頃の記憶やこれまでの出来事がフラッシュバックして1本の線につながりました。

私が見たタマゴ鳥は実在します。ちゃんとした学術名があり、何故その場所にいたのかも時間を掛けて調査すれば明らかになるでしょう。

そうなれば、これまでの経緯とタマゴ鳥は無関係であったことが判明します。

ですが、私は潜在意識の中で何かのメッセージがあるからタマゴ鳥や他の出来事を思い出したのです。それは私にとって何の意味があったのでしょうか?

最近、やっと意味が分かりました。私は人としてクズだったのです。

お礼の報告 忘れてはいけないこと

現場の神社 境内

夏に家族で、あの武将を祀った神社にお参りに行きました。今は引っ越している為、お参りは7年ぶりです。

「末っ子が生まれる前に、この神社にお祈りしたら、無事に生まれたんだよ。今からみんなで、神様にありがとうってお礼をします。」

上の子達に末っ子が生まれる時の大変だったことを話し、命を懸けて頑張った妻、助けてくれた病院の先生方、寂しくても我慢した上の子達、面倒を見てくれた母、全てに感謝の言葉を伝えました。

これからは自分の家族のためにバリバリ働いて、家族と楽しい思い出を沢山作っていこうと誓いました。家族がいるから父親なのではなく、家族に父親にさせてもらっているのです。

お賽銭を入れて、家族で手を合わせていた時に、妻が私の肩を叩き、笑いながら社務所の張り紙を指差しました。そこには以前は無かった張り紙がありました。

【神社の境内で遊んではいけません】

そうか・・やはり迷惑だったのか。ごめんなさい。

再就職先が決まらず派遣で苦しい生活をしていましたが、それからしばらくして、7年前に大企業の契約社員として働いていた時に知り合った昔の上司から、突然電話が掛かってきました。昔の上司は大企業で出世しており、社員として一緒に働いてくれないかと誘われたのです。

ブラック企業で底辺をさまよっていた私が、急に大企業の社員にスカウトされるなんて信じられませんでした。

昔の上司は事業の拡大で人員を募集していたが、思う様な人が集まらず困っていた時に、たまたま携帯のリストで残っていた私の名前を見つけたので電話してみたとの事でした。

その後、大手企業に運よく転職が出来て今は恵まれた環境で働いています。

あとがき

今後、タマゴ鳥の正体を学術的に検証していきます。

動物園や昔住んでいた現場を巡ったり、昔の友人に会って話を聞いたところ、新しい証言を得ることができました。

以降はこのブログで紹介していきたいと思います

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